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脱線

平成25年の秋から平成26年にかけて、札幌、仙台、郡山、新潟、宇都宮、高崎、大宮、東京、横浜、大阪、広島で、「ブラック企業と呼ばれないための正しい労務管理」と題した講演をしてきた。大宮と大阪では受講希望者が多かったため、午前と午後のダブルヘッダーでの開催となった。本当にありがたいことだ。

講演が終わった後の大事な仕事は、受講者からのアンケートを見ることだ。これが結構ドキドキする。大半の受講者は、勉強になったとか、わかりやすかったとか、本音はどうかわからないが、大人の対応でアンケートを書いてくださるようだ。なかには、非常によかったに丸をつけ、大変勉強になりましたと、涙が出るほどうれしいコメントを書いてくれる聖人君子のような方もいらっしゃる。

そんなアンケートの中で、たまに、グサッとくるご指摘を頂戴することもある。札幌で講演したときのアンケートでは、「話が脱線しすぎる」との苦情をもらった。確かにその日は、北海道の大地のようにおおらかになり、調子に乗りすぎて筋書きにないことをあれこれと話したようだった。

夕食を兼ねた反省会でそのことが話題になり、神妙に反省の弁を述べた。やさしい主催者は、「そんなに気にしない方がいいですよ。小島さんの講演から脱線をとったら何が残るんですか」と、慰めのような、慰めになっていないようなことを言ってくれた。その後酒が進み、この問題の責任はJR北海道にあるとの結論が出た。当時、JR北海道の事故の影響で、札幌市民は脱線に非常に敏感になっていたのだ。北海道では、脱線はできるだけ避けるべきであるとの教訓が残った。

しかし、その後も脱線はなかなか止まらなかった。ダブルヘッダーでの開催の場合、午前の部と午後の部で、同じ内容の講演をするよう主催者から指示があるのだが、同じ内容になったためしがない。同じタイトルなのに、随分と違う講演会になってしまうのだ。本当に同じ内容でやれというのなら、午前の部をビデオで撮って、午後からそれを流してくれと言ったところ、最近では主催者もあきらめたようで、思う存分好きにやっていいことになっている。

講演終了後、予想以上の大きさの拍手をもらい、少し照れながら頭を下げることがある。これには注意が必要だ。拍手の大きさは、受講者の満足度とは単純に比例しないのだ。拍手には様々な気持ちが込められている。サラリーマン川柳の作品で、「講演会 寝ていた人ほど 拍手する」というのがある。大きな拍手の意味は、大抵の場合、やっとつまらない話が終わったという、受講者の喜びを表している。

講演の仕事が終わり、会場を後にするときには細心の注意を払わなければならない。気が弛んでしまい、講演会場に仕事道具を置き忘れることがあるからだ。レーザーポインター、筆記用具、講演のあらすじをメモしたカンニングペーパーなど、後日、主催者から送られてくることがある。

最近は忘れ物には気を配っているつもりなのだが、想定外の失敗をしてしまったことがある。新潟での講演の後、会場のエントランスで主催者と挨拶を交わし、車を運転し自宅に帰った。部屋で背広を脱ごうとしたら、やけに重い。ネクタイにピンマイク、上着の内ポケットには発信機が入っているではないか。しかも、赤いランプが点灯しており電源は入ったまま。あわてて、再び会場まで車を走らせることになった。

主催者の話では、講演が終わったあとの閑散とした会場で、スピーカーから「こちらこそ大変お世話なりました。また、よろしくおねがいいたします」といった私の声がマイクに拾われ、しばらく流れていたとのことだった。その後、運転しながら鼻歌を歌っていたのだが、その歌声を受信器まで届けるほど高性能なワイアレスマイクではなかったようで胸をなでおろした。

社会保険労務士の分野ではないと思われる講演の依頼もときどきある。今年の秋には、「消費税増税に備えるために」といったテーマでの講演を頼まれた。ところがその後、11月18日に安倍首相が、消費税増税の先送りと衆議院解散を宣言した。当然のことながら、予定されていた私の消費税増税に関する講演も先送りになるものだと思い主催者に電話をした。しかし、予定通り開催するとの返答だった。ただし、テーマはそのままなのだが、内容をできるだけ消費税増税ではないものに変えてくれという、難しい宿題をいただくことになった。

どのような構成で講演をしたらいいのか筋書きを考えてみたが、妙案は浮かばなかった。前日になって、ふと膝を叩いた。私にとってこの手の話は簡単なはずだ。最初から脱線モード全開で講演すればいいだけだ。結果、久しぶりに楽しい講演会となった。主催者から、消費税のテーマなのに、難しい話ではなく楽しい講演だったとの評価をもらい、終了後の懇親会の席も大いに盛り上がった。脱線も時には役に立つものだと思ったが、人生における脱線はほどほどにしたいものだ。(小島 正晴)

散歩が人類をつくった

この「つぶやき」の執筆は、月にたった1回なのだが、理系人間(といっても、英語と国語が苦手だったための消極的選択でのことだが)の私にとって、苦行のようなもの。何を書いたらよいのかアイディアが浮かばないのだ。そんなときには、酒の力を借りてと思うのだが、大抵は眠気が訪れるだけで効果はない。

ある労務関係の専門誌を読んでいたら、ジャーナリストの吉田典史氏のコラムに興味深いことが書かれていた。月一の私とは違い、氏は恐らく1カ月で何十本もの記事を書くのだろう。頭から文章が出てこなくなり悶々としたときの特効薬が散歩で、氏は10年近くの間、毎日欠かさず2時間歩き続けているのだそうだ。1時間も歩くと全身の血の流れがよくなり、頭の血管にも大量の血が流れ込み、意識が前向きになり、そして1万字くらいの文章構成が次々と浮かんで、言葉が勝手に並び始めるという。調子が良い日は2~3万字が出てくるので散歩にはICレコーダーが離せないそうだ。

また、医学博士の佐藤富雄氏は、歩くことが夢や欲望をつくりだすと言っている。散歩の効用にいて次のように氏は詳しく語っている。

これは人類の歴史を辿れば分かることです。クロマニヨンのほんの一部がホモサピエンスとして残るのですが、このホモサピエンスは20万~25万年前、野山を駆け巡っていたら突然気持ちがよくなるホルモンが分泌された。いまでいうβエンドルフィンであり、ランナーズ・ハイという状態です。それで第四氷河期をホモサピエンスだけが生き残ることができたのです。その後も農業や工業を発展させたり、近代文明を成し遂げられたのは、足を動かして脳を活性化していたからにほかならない。だから私は皆さんに「毎朝歩きましょう」と言っているんです。
(中略)大体1分間に120歩。そういう一定リズムで歩いていると、15分たったあたりから脳内にβエンドルフィンが分泌されて、「いやだな、眠いな」と思って歩いていてもだんだんと気持ちよくなってきます。25分から30分頃には、ドーパミンが出てきます。これは夢のホルモンといわれ、これが分泌されるといろいろなアイディアが湧いてきます。で、40分くらい歩くと、セロトニンが出てきて、これはどんどん湧いてきたアイディアを実現可能な形に整えていく役目があるのです。こうなるとすばらしい一日のスタートが切れます。

平成26年12月1日の夜、北海道の北西に発達中の低気圧が迫り、上空に寒波が流れ込み強い冬型の気圧配置となった。真夜中には西から吹き付ける季節風が強まり、ヒューヒューと音を鳴らした。さらに朝方には大粒の雨がバチバチと叩きつけるように降った。その音で何度も目が覚め、時計の針が5時を過ぎたのを確認してベッドを出た。

着替えもそこそこにハリー君(シェトランドシープドッグ11歳オス)を連れて、暴風雨の中、いつものように散歩に出かけた。まるで上空にジェットエンジンが搭載されているかのように、轟音とともに西風が枯葉を巻き込んで吹き付けてきた。途中の田んぼ道では向かい風となり、みぞれ混じりの氷雨が顔に当たり、冷たさと痛さで後ろ向きでの歩行を余儀なくされた。それでも私は、全身ずぶ濡れで歩き続けた。βエンドルフィンやドーパミンが分泌されるまでやめるわけにいかないのだ。

歯を喰いしばり歩いていると、ふと、中学生の時に親父に連れられて近所の小さな映画館で観た「八甲田山」(1977年)を思い出し、あれに比べたら今日の散歩はハイキングだと思えてきた。残念ながらその映画では、凍傷にかかり意識が遠のく同僚の頬を叩きながら「寝るんじゃない。寝たら死ぬぞー!」と叫ぶシーンしか覚えていない。当時の私にはまったく興味のない映画だったため、睡魔に勝てず、私はうとうとと寝てしまったのだ。ときどき目を開けると、吹雪の中「寝るんじゃない。寝たら死ぬぞー!」のシーンなのだ。

中学生の私にとってつまらない映画がやっと終わり、家に帰って祖母にそのことを話すと、彼女は語った。

「映画はそういうものだ。若い時に観に行ったアメリカ映画『駅馬車』(1939年)がそうだった。映画の途中で眠くなり意識が遠のき目を覚ますと、荒野を馬車が走っていた。次に目を覚ますと、また同じように荒野を馬車が走っていた。最後までそれが続いた。まったく面白くなかった」

ジョン・ウェインが聞いたらさぞかし機嫌が悪くなることだろう。

大学生の時、ねぶた祭りを満喫した次の日に、青森の友人に八甲田山に連れて行ってもらい、雪中行軍遭難記念像の前で佇んだ。それ以来興味を持ち、新田次郎の「八甲田山死の彷徨」を読んだ。これから本格的な冬がやってくる。雪が深々と降る夜には、映画「八甲田山」を、今度こそ眠らず観てみたい。そして先月亡くなった高倉健を偲び、酒を傾けたい。(小島 正晴)

遠いゴール

平成6年10月。貿易部長と夕食をとった後、ロサンジェルス郊外のコスタメサにあるウエスティンホテルを一人でこっそり抜け出し、お気に入りの店までレンタカーを走らせた。コストプラスという店に入り、1年前の記憶を頼りに主通路を進み、奥のビール売場で立ち止まりお目当ての液体を探した。一番下の陳列棚に3本だけ売れ残った瓶が埃をかぶっていた。その瓶の正体は、ミュンヘンが誇る世界最大のビール祭「オクトーバーフェスト」を記念して、地元の老舗醸造所SPATEN(シュパーテン)が、毎年秋に発売するビールだった。

店員に在庫を確認したところ、その店員はバックルームにあった1ケース(355ml×24本)を抱えて私のカートに乗せてくれた。日本に帰国する朝、その24本の瓶を1本ずつ新聞紙に包み、着替えが詰まっているトランクに無理やり押し込み、ロサンジェルス国際空港のチェックインでそのトランクを預けた。「割れ物や貴重品は入っていませんか」と係員に聞かれたが「ありません」とだけ答えた。

この出張では、すでにカリフォルニアワインを12本買っており、それが木のケースに入っていた。その木箱は機内に持ち込むよう指示され、保安検査場でX線検査装置に通し、私は金属探知機を無事に通り抜けた。ベルトコンベアに乗せられX線装置から出てきた木箱を受け取ろうとしたとき、金髪をアイビーカットにした意地悪そうな眼をした大柄の男性検査員に呼び止められた。「この瓶の中身は何ですか」「ワインです」「赤か白か」「両方です」「では、箱を開けなければならない。赤は特別なセキュリティーチェックが必要だ」「えっ・・・?」

次の瞬間、いたずら小僧のようにニヤニヤとした目に変わり、「私はテイスティングをしなければならない」「・・・?」「赤ワインが大好きなんでね。いいワインかどうか確かめなければならない。ハハハァー!」と検査場は大笑いに包まれた。

搭乗時刻の案内があり、ボーイング747の機内に入った。その便はほぼ満席のようで、狭い通路を重い木箱を両手で抱えながら慎重に一歩ずつ前進した。人をかき分け機内の中程まできた時、銀縁の丸い眼鏡をかけた恰幅のいいご老人が陽気な笑顔で私に大きな声をかけてきた。「ダイナマイトを持っているのかい?」とっさに「Yes, Red and White」と返すと、機内は大爆笑になった。当時は、航空機のテロが頻発する前の、良き時代だった。

その出張で手がちぎれる思いでワインとともに日本まで運んできたのが極上のSPATENビールだった。そのビールを日本で飲むことができる祭典が10月に横浜赤レンガ倉庫で開催されることを知り、行くことにした。ただ行くだけではつまらない。そこでだ。10月12日、新潟シティマラソンに出て汗を流し、その足で横浜オクトーバーフェストに行きSPATENを飲むという無謀な計画を立て、一番短い10kmの部にエントリーをした。中学のマラソン大会で5kmを走ったのを最後に、長距離走とはご無沙汰をしていたのだが・・・。

当日の朝、陸上競技場に行くと、集まった精鋭達がウォーミングアップをしていた。私はできるだけ体力を温存するため、その場で静かに膝の屈伸をしながら、膝が痛くならないよう祈った。雲一つない秋晴れの青空の下、8時ちょうどにスタートの号砲が響き渡った。白山神社を背にして西堀通を進み、柾谷小路に入り萬代橋へと脚を動かした。道路の真ん中から見る街の風景は、パンフレットにある写真のひとコマのように輝いていた。

萬代橋を渡り右に折れ、信濃川の右岸沿いの3km地点で時計を確認すると、明らかにオーバーペースだった。人に抜かれるとムカっとして抜き返してしまうので、気がつくとペースが速まっていたのだ。マラソンが趣味の友人からはオーバーペースにならないように1km6分で走れときつく言われていたのだが、気がついたら1km5分を切るペースになっていた。この際このペースで行けるところまで行くことにして、歯を食いしばった。案の定、5km地点で右の膝が痛くなり、あとは気合のみでゴールまでたどり着き、タイムは52分だった。まだ私のマラソンは終わっていなかった。

成績証明書を受けとるや否や、痛めた右脚を引きずりながらオフィスまで20分歩き、速攻で着替えて新潟駅に向かい、妻と合流し新幹線に飛び乗った。疲労と脚の痛みで、みなとみらい線の馬車道駅の階段では、手すりに全体重をかけ、やっとのことで登りきる有り様だった。会場でSPATENのジョッキを傾け、20年振りに再会を果たした液体を喉に流し込んだのが午後の1時過ぎだった。私の新潟シティマラソンのゴールは、新潟市陸上競技場ではなく横浜赤レンガ倉庫で、タイムは5時間10分だった。琥珀色のSPATENが疲れのすべてを流してくれた。(小島 正晴)

昭和な人

近頃、平成生まれの社会人が徐々に増えてきた。昭和生まれの人間からすると、「この若造が・・・」と思ってしまうのだが、そんなことではいけない。それよりも、彼らに「このおじさんは・・・」と思われないよう気をつけなければならない。

朝の通勤途中、車のラジオを聴いていたら、「ダイヤル回して手を止めたー」と昔の曲が流れてきた。そう、小山明子の「恋におちて」だ。この歌詞を聴いて、頭にクエスチョンマークが点滅しないのは、昭和生まれの証拠。平成生まれの人には、この歌詞のダイヤルを回す感覚がわからないそうだ。

フィンガー5の「恋のダイアル6700」も昭和だ。「指の震えを抑えつつ僕はダイアル回したよ」と言っている。大体この曲は、「リンリンリリン、リンリンリリンリ・・・」とベルの音で始まるが、これからして昭和。

当時は、好きな人に電話をかけるにも、大仕事であった。電話をすると大抵は親が出るわけで、その関門を突破するのが一苦労だった。スマホ世代にはわからないだろうなあ。昭和50年、東京-新潟間の電話料金は、3分で450円。沢山の10円玉を握りしめてかけた公衆電話では、4秒に1度10円玉がカシャッという音とともに吸い取られた時代だ。

郵便料金は全国一律なのに、電話料金は長距離ほど高くなるなんて、当時は納得できなかった。郵便は、実際に運ぶ人がいる訳で、遠いほど経費が掛かる。しかし、電話の場合、遠距離であっても誰も汗をかかないのに高額の料金を取られたものだ。

「『チャンネルを回す』って友達に言ったら、意味が分からないと言われたのですが、これって方言ですか」と、あるサイトで質問をしている平成生まれの若者がいた。親切な昭和の人が、それに答えていた。昔のテレビは、ダイアル式のつまみを回してチャンネルを変えたのだと。

沢田研二の「勝手にしやがれ」も極めて昭和な曲だ。作詞が阿久悠、作曲が大野克夫というゴールデンコンビが作った曲で、昭和52年第19回日本レコード大賞を受賞している。「壁際に寝返り打って背中で聞いている・・・」で始まり、「夜というのに派手なレコードかけて~」のフレーズが、ザ昭和なのだ。

この曲は、その後も様々な影響を世の中に与えている。当時人気のあった「8時だョ!全員集合」で志村けんがこの曲のタイトルの「勝手に」と、ピンク・レディーの「渚のシンドバッド」をミックスさせ、「勝手にシンドバッド」というコメディーを演じたのだ。さらに、翌昭和53年、これを拝借したのが、この年にデビューしたサザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」。

「汽車を待つ君の横で僕は時計を気にしてる季節外れの雪が降ってる」伊勢正三作詞作曲の「なごり雪」。昭和の時代に普通に使っていた「汽車」も死語になった。「花嫁は夜汽車に乗って・・・」もあったなあ。「夜汽車」、平成生まれにはわからないだろうなあ。

この前ゴルフに行ったら、途中から雨に降られた。一緒にプレーしていたおじさん(私より少し年齢が上)が、「あッ、アノラック忘れてきた」とつぶやいていた。うちの子ども(平成10年生まれの次男)に、「アノラックってわかる?」と聞いたら「なにそれ」と返ってきた。

3年前、久しぶりにスキーの板を買った。私はRossignol(ロシニョール)を、妻はVölkl(ボルクル)を選んだ。スキー場のリフトで妻が「Völklって何製?」と聞いてきたので、私は「西ドイツ製だよ」と答えた。知識をひけらかそうとしたのに、パープリンなことを言ってしまった私は、「今頃何言ってるの」と反撃を受けることになった。「だって、俺がVölklを履いていた時は、西ドイツだったの!」

私の母親は、今でもロシアのことを「ソ連」と呼んでいるし、JRを「国鉄」、近くにあるリオンドールというスーパーを「ライオン堂」と言っている。もちろん、いつまでたってもイオンではなく「ジャスコ」だ。

きっと母親の頭の中は、平成26年ではなく昭和89年に違いない。ところで、この「つぶやき」の読者の皆さんは、間違いなく昭和生まれですよねェ。(小島 正晴)

数字

経済ジャーナリストの財部誠一氏のホームページをみると、得体の知れない不安な気持ちに襲われる。そのトップページには「日本の借金時計」というものがあり、刻一刻と数字が膨れている。それによると8月末の時点で日本の借金額は992兆円で、1秒つき約100万円ずつ借金額が加算されており、見ている間にも、1千万、2千万とどんどん金額が膨張し続けている。1秒で100万円ということは、1分で6千万円、1時間で36億円、1日で864億円もの借金が増えているということだ。

金額があまりにも大きすぎるのと、自分のお金の話ではないのであまり実感がわかないが、自分の財布のことであれば、借金の増加がたとえ1秒で1円であっても、大変な事である。1秒で1円としても、1分で60円、1時間で3,600円、1日で86,400円の借金が増え続けることになるのだ。これは恐ろしい。だって、1年経つと、約3153万円ですよ。

私がデスクで使っている電卓は10桁表示だ。つまり10億の単位しか表示できないが、今まで仕事で使っていて困ったことはない。お金の単位が、億とか兆になると、大きすぎて感覚が麻痺してしまうが、1兆円とは一体全体どのくらいのものなのか、考えてみようではありませんか。そこで問題です。

Q1 1万円の新札を積み重ねると、1兆円ではどのくらいの高さになるのか。
Q2 毎日100万円を使うとすると、1兆円を使い切るのに何年かかるか。

答えは来月号でお知らせいたします。

としたいところですが、そんなことをしても来月号の売れ行きが増えるわけではないですし、電卓があれば答えは出ますので、早速解答に移ります。

まず、高さの問題ですが、新札の帯付は100万円で約1センチメートルの高さです。したがって、1億円だと1メートル、1兆円だと1万メートルということになります。8848メートルのエベレストよりも高いなんて驚きです。

ということは、日本の借金は約1千兆円あるので、1万円札を積み上げると、高さが1万キロメートルになります。1万キロメートルといったら、東京・ローマ間の距離に匹敵します。すごい金額だと言うことはわかりますが、それにしてもあまりにすご過ぎる金額です。

次の問題です。1日に100万円使えたら、リッチですよね。どこに何を食べに行ったらいいのでしょうか。食べてばかりだと、使い切る前にメタボであの世かもしれません。毎日となると、使うのが結構大変そうです。

1日100万円なので1年で3億6500万円を使うことになります。あとは単位に気をつけて電卓を打つと答えが出てきます。
答えは、2740年です。神武天皇が即位されたてから今年で2674年。その頃から、毎日100万円使っていても、9760億円の消費に留まり、1兆円には届かないのであります。改めて1兆円の偉大さを知ることができます。

最後に、ある小学生が作った問題です。

Q3 わたしが すんでいる まちの しょうてんがいで、いちにちの うりあげが、なんちょう にもなる おみせが あります。どこの おみせでしょうか。

 先ほど「兆」についてお勉強をした皆さんはおわかりですよね。いや、頭の固い人には難しいかもしれません。1日で何兆円も売り上げるお店が商店街にあったら大変です。

ここでは、「兆」ではなく「丁」なのです。

もうおわかりですよね。そうです。豆腐屋さんです。1日で何十丁も何百丁も売れます。豆腐の大きさは地域によってさまざまですが、豆腐を数えるのには、1丁、2丁といった単位が使われます。東京都心では1丁は300~350gであることが多く、地方になると若干大きめの350~400gで、沖縄では1丁1kgが一般的だそうです。

残暑が続きますが、冷奴で良質のたんぱく質を取りつつ、冷えた麦酒を流し込み、頭をやわらかくしましょう。(小島 正晴)
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