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親方の決断

 昭和59年(1984年)2月下旬。冬でも日焼けでどす黒い顔をした白髪頭の爺さんが、煙草をふかしながらバイクで我が家を尋ねてきた。彼は祖母の弟で当時64歳。地元で従業員10人ほどの板金屋の社長をやっていた。挨拶もなしに家に上がり、私の顔を見つけ藪から棒に、「おい、仕事があるんだけど、来ねか(来ないか)」と、くわえ煙草で話し掛けてきた。職人だけあって、必要なこと以外は口にしないのだ。久しぶりだなあ、元気か、などの言葉は聞いたことがない。私は大学2年生で、春休みだったと思う。

「はい・・・。どこですか」
「浜松らて。明日の朝6時に来てくれや。ひと月ぐれらな(今回は、浜松だ。明朝6時に集合してくれ。期間は1カ月くらいになると思う)」

 夏休みには、この会社で屋根仕事のアルバイトをしていたが、現場はだいたい新潟近郊だった。猛暑の屋根仕事は、地下足袋のゴム底が溶けるほどで、ジムに通うより三倍は汗をかくことができ、金属屋根の照り返しは日焼けサロン顔負けの効果があった。

 それにしても、今回は突然で、しかも浜松だ。どうしたものかと考えていると、「旅館だっけ飯も出るし、パンツの着替えだけでいいわね」と言い残し、灰が落ちそうな煙草をくわえ、エンジンがかかったままのバイクにまたがり帰って行った。

 次の日、適当に着替えをまとめ、日の出前の薄暗い中、家を出た。会社に着くと、若い職人がマツダ・ボンゴというワンボックスカーに荷物を積み込んでいた。出発して車内の人数を数えると、私を含め5人。社長は遠征には同行せず、社長の次男(当時35歳)が出稼隊の親方であった。

 当時は、新潟からの高速道路が上越ICまでしかなく、そこからは国道18号線で長野に向かった。長野市内を抜ける頃には、出発してからすでに4時間ほど過ぎていた。親方も、飽きてきたのだろう。助手席でうなった。「あー、いやになった。何時間かかるんだ。おい、今日中に着くんか」

 そのあとすぐに、親方は運転手に停止命令を出した。道端に緊急停車し、ワンボックスの後に積んであった荷物を片側に寄せゴザを敷き、運転手以外の4人が車座なりあぐらをかいた。花札が始まった。この時代は、カーTV、携帯電話、ゲーム機などはない。これしかやることはなかった。

 国道19号線に入り、松本を過ぎたところで昼食を取り、塩尻から20号線で諏訪、韮崎、そこから52号線で富士川沿いを下り太平洋を目指した。やがて日暮れとなり、札が見にくくなり、花札は終了した。地図では富士山が近いはずだが、見渡しても小雨が落ちる黒い空しか見えなかった。

 清水の市街地に入り、東名高速道の清水ICを目指したが、なにぶんカーナビもなく勘ナビ頼みの運転である。道に迷い、疲れと焦りでイライラしていた親方が、突然大声で叫んだ。「前のセリカ、浜松ナンバーらて。あれに着いて行けや」親方の命令が功を奏し、水先案内人を得た車は、無事、東名に乗り浜松にたどり着いた。時計の針は夜9時を回っていた。

 浜松市内に入ると、親方は公衆電話で地元の工務店に電話をした。迎えに来てくれた人の良さそうな工務店の社長が旅館まで同行してくれて、顔合わせの宴会となった。

 早速、翌日から仕事である。現場は、巨大な工場の建設現場だった。大手ゼネコンの現場だけあって、我々は事前チェックを受けることになった。現場事務所に呼ばれ、なにやら問診表のようなものを渡された。私は名前から書き始めた。すると親方が私の耳元で鋭くささやいた。「正社員」「2年」その通りに、従業員区分と経験年数の欄に記入した。その後、目を閉じての片足立ち、背筋、握力測定と続いた。その後現場に入り、屋根仕事のため足場をよじ登り、最上部の鉄骨の上に立ち浜松の街並みを見渡した。北東方向を望むと、頭が白く光った富士山が遠くに見えた。

 次の日は朝から強い雨が降っていた。我々は朝食を済ませ現場に行ったが、屋根仕事は危険なため中止である旨の通知があった。宿に戻り親方がいろいろと電話で確認したところ、雨天中止の場合も我々には日当が出ることがわかり、職人達は喜び勇んでパチンコに出かけた。親方は一人でサウナに行き、私は終日、浜松の街をさまよった。その日の夜、親方の命令で、我々は酒を飲みながら雨乞いをした。しかし効果はなく、雨天中止はこの1回限りだった。

出稼ぎは1カ月の予定であった。ところが、2週間程したところで、夕食中、酒を飲んでいるときに、我々の親方と地元工務店の社長とが些細なことで言い争いの喧嘩になった。明くる朝、「頭にきたんで帰るぞ」という親方の声で叩き起こされ、朝飯も食べずにさっさと宿を引き払い帰路についた。

 なににつけても、決断の早い親方であった。トップはこうでなくちゃいけない。(小島 正晴)
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