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[T2] まとめtyaiました【セイフティーボックス】

1995年9月3日。サンフランシスコ入りした我々は、ユニオンスクエアの貴婦人と呼ばれるウェスティン・セントフランシスに宿泊した。翌4日、ホテルの会議室でのミーティングを終えた後、あわただしく荷物をまとめ、次の目的地であるサクラメントに向かうため、バスに駆け乗?...

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セイフティーボックス

 1995年9月3日。サンフランシスコ入りした我々は、ユニオンスクエアの貴婦人と呼ばれるウェスティン・セントフランシスに宿泊した。翌4日、ホテルの会議室でのミーティングを終えた後、あわただしく荷物をまとめ、次の目的地であるサクラメントに向かうため、バスに駆け乗った。

 途中、ショッピングセンターで視察がてら軽くランチを取ることになり、敷地内のマクドナルドに立ち寄った。私は、チーズバーガーセットを注文し、ドリンクにはコカコーラのSサイズを付けた。テーブルに戻ると、同僚のO君がすでに食事を始めていたが、様子がおかしい。彼のテーブルには、ハンバーガーが5個、ドリンクが5個、そしてポテトが5個。必死の形相でアメリカンサイズのハンバーガーに喰らいついていた。

 「どうしたんだ」と尋ねると、彼は恥ずかしそうに、「メニューボードにある5番のセットを、注文したつもりなんだけどねえ。ファイブって何回も言ったら・・・」と、モグモグしながら苦笑いしていた。結局、彼は持ち前の責任感の強さで、2セット半は胃に押し込んだが、残りは仲間の助けで消化することになった。

 午後、カリフォルニアの州都サクラメント国際空港まで移動し、ロビーでロサンジェルス行きの国内便を待っていた。急に、ズボンの右ポケットに違和感を覚えた。全身の血が逆流するような痺れが、私の神経を襲った。動揺する心を抑えて、右手の親指と人差指でつまむように、異物を静かにポケットから取り出した。悪い予感は的中した。見覚えのある金属製の重量感のある鍵だった。

 前日の夜、会計担当のK君から私の部屋に電話があった。会社から預かっている現金40万円を部屋に置いたまま寝るのが不安だといった内容だった。「無くなったら、無くなったときだ」と返答したが、彼は几帳面な性格なため、それ以上彼を説得するのが面倒になり、私はその40万円を彼から受け取り、フロントのセイフティーボックスに預け、その時に鍵を渡されたのだった。

 ホテルに電話をかけ、その現金を移動先のロサンジェルスに届けてもらう手段を模索した。しかし、いかなる事情があろうと、預けた本人が鍵を持参しない限り現金は渡せないとの一点張りだった。さすがは名門ホテル、安全性に抜かりはない。飛行機の出発時刻まで、あと1時間半。ホテルまでは片道2時間半はかかる。答えは一つしかなかった。私一人、飛行機をキャンセルし、とりあえずホテルに向かうことに決めた。

 空港のロビーを出ると、我々が先ほどまで乗っていた見覚えあるバスが、少し離れた駐車スペースに停まっているのが見えた。駆け寄り、コワモテの運転手に事情を話すと、彼はこれからサンフランシスコの会社まで、空っぽのバスで戻るとのことだった。私はちゃっかりと、彼の大型バスに一人だけ貸切状態で乗せてもらうことにした。
私が名前を名乗ると、彼は運転中にもかかわらず、器用にNick Asencioと書かれた薄茶色の名刺を取り出し、無造作に差し出した。年の頃は40歳前後で身長は165cmほど、短髪で筋肉質。両腕にはタトゥーが彫られており、サングラスの奥の瞳は射るような鋭い眼光を放っていた。

 やがて彼は、ハンドルを握り前方に視線をやりながら、生まれはプエルトリコで、若い時に2年間海兵隊に所属し沖縄にいたこと、今でも納豆と温泉が大好きなこと、日本人のガールフレンドがいたがすぐに分かれたこと、横須賀と横浜での景色がきれいだったことなどを語ってくれた。現金をホテルに置き忘れたショックと、同僚と離れ一人別行動になった不安で、私の心の中には霧が立ち込めていた。突然、彼が言った。「お前はラッキーだ」

 「この時間帯だと、すぐ先にある橋を通過中に、サンフランシスコで一番のサンセットが拝めるぞ」
5分後、目にしたサンセットは、日暮れといった寂しさを感じさせるものではなく、まるでショーの開演のように、何かが湧き上がり世界中が紅く染まる情熱的な美しさだった。

 その後、ホテルに到着し、礼を言うと、「まだ俺の仕事は終わっていない。サンフランシスコ国際空港まで送ってやる」と、彼は目元をほころばせた。ホテルで預けていた現金を無事受け取り、彼の言葉に甘え、空港に向かった。バスの中ではロサンジェルス便のチケットの買い方のレクチャーを受け、最後に精一杯の感謝の気持ちを伝えてバスを降りた。

 夜8時過ぎにサンフランシスコを出発した国内便は、2時間弱のフライトでロサンジェルス郊外のジョン・ウェイン空港に到着した。タクシーを走らせ、コスタメサにあるウエスティンホテルで、仲間と半日振りの再会を喜んだときは、夜の10時を過ぎていた。(小島正晴)
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