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スコール

今年の7月は出張が続いた。7月10日、労働安全衛生法改正セミナーの講師で広島に呼ばれた。新潟からは直行便がないので、新幹線で東京に出て、羽田から空路で広島入りすることにしてチケットを手配した。

前日の9日、台風の影響で前線が刺激され、新潟は朝方から非常に強い雨。朝のニュースは、「台風8号が10日午前にも九州に上陸予定」との予報を伝えていた。

10日の午前便は飛ぶのだろうか。セミナーは60名ほどの受講者が集まったと主催者から連絡がきていたので、絶対に穴はあけられない。さて、どうやって広島に行くべきかと思案をしている最中、予約をしていたJALからメールが届いた。「ご予約の航空便は台風の影響で欠航の可能性があります。なお、取消の場合でもキャンセル料を全額免除します」

これで決まりだ。急遽、飛行機をキャンセルして、新潟から新幹線を乗り継いて広島を目指すことにした。

結局、台風は九州に上陸後、四国沖を通過したため、広島の街は風もなく少し雨が落ちた程度で済んだ。天候が崩れなかったためか、セミナーはほぼ満席で無事終了となった。その日の夜、繁華街で反省会が開かれた。担当してくださった支店の方々と、冷えたビールで乾杯し、今後の展開について語り合った。翌日、台風一過の蒸し暑い広島を後にして、新幹線を乗り継ぎ6時間かけて新潟に戻った。

7月23日は高崎、24日は宇都宮で、ブラック企業対策セミナーと題しての講演の仕事が入った。真夏の北関東といえば、夕立と雷が有名だ。日中の気温が上がり猛暑になり、そして夕刻、急に空を雲が覆い、雨が音を立てて雷とともに降り出す。そんな中を、飲みに繰り出すのも思い出に残るに違いないと期待をして出かけた。

初日の高崎は、期待通り時間とともに気温が徐々に上昇し、最高気温は35度を記録。セミナーが終わり会場の外に出ると、灼熱の世界が待っていた。アスファルトが焦げ付くような暑さの中、翌日のセミナーに備え、その日のうちに北関東自動車道で宇都宮に移動した。夕刻、宇都宮に到着したが、残念なことに楽しみにしていた夕立も雷もなく、街には昼間の太陽に熱せられた空気が漂うだけだった。宇都宮駅を通り抜け西口から繁華街に向かって歩き、打合せの会場にたどり着くと、翌日の打合せをしながら、ビールで喉を潤した。

翌24日。午前中はホテルのデスクでメールの返信や書類作成を進めた。セミナー会場へ移動するための集合時間が近づいたので、身支度を整え荷物をまとめた。荷物といっても、私の場合はいつも極めて少ない。前に勤めていた会社の創業者は、出張の際に荷物が多い社員は仕事ができない者だと断言し、でかいカバンを嫌った。その習慣が今でも抜けず、ビジネスでもプライベートでも旅行の荷物は驚くほど少ない。

10年ほど前の冬、グアムに行ったときは、小学生のようにズボンの下に海水パンツを履き、パスポートと財布をポケットに入れ、あとは何も持たずに手ぶらで飛行機に乗ったことがある。現地では、毎日シャワーを浴びながら下着を洗濯。そのほか必要なものは現地調達し、それがそのまま自分へのお土産になった。

昔から忘れ物が多い私は、ホテルの部屋を出るときには入念にチェックをするよう、最近は行動を改めた。ベッド周り、デスクの上、クローゼットと順番に確かめ、念のためバスルームも忘れ物がないか見ようと足を踏み入れた。

その瞬間だった。濡れていた床で左足がすべりバランスを崩し、とっさに左手を脇の壁に突き出し体を支えた。倒れずに済んだのだが、左手が触れた場所が悪かった。頭の上からシャワーが吹き出したのだ。あわてて止めようとレバーを動かしたら、さらに水流が増し全開のシャワーの洗礼を受けることになった。

上着とシャツ、それにズボンもびしょぬれ状態。すぐにフロントに電話をしてアイロンを手配し、リカバリーした。北関東では夕立よりもこわい屋内スコールがあることを学んだ。

そのとき、ポケットに入っていたスマホも水を浴び、通話の際に相手の声が聴こえない状態になってしまった。ランチを食べながら、主催者の本部長に私の恥ずかしい行動を打ち明け、彼のアドバイスで、スマホを日光があたるところで乾燥させた。およそ5時間後、講演が終了し宇都宮駅で試してみたら見事に回復していた。その日、午前10時頃から夕方にかけて私に電話をくださった皆様、大変失礼をいたしました。 (小島 正晴)

エコ

小学校のトイレで、1年生の女の子が用を足せずに困って担任の先生のところに来た。「どうしたの?」との先生の問いかけに、「先生、トイレが壊れているよ。トイレのふたが開かないの」「どれどれ」先生はその子を連れて一緒にトイレに行った。便座のふたに手をかけると、あれまあ、問題なく開くではないか。事情をよく聴くと、女の子の自宅は、人が近づくとセンサーが感知し自動でふたが開くトイレだそうだ。小さいときからそれを使っていると、ふたは自動で開くもので開かないのは壊れているからだと思ってしまうらしい。

使用後、自動で流してくれる便利な機能がついているものもあるが、特別な事情がない限り「オフ」にしておくことをお勧めする。自分で責任をもって流す習慣がなくなると、自宅以外で使用したとき、次の方に多大な迷惑がかかることになる。

自動は便利だが、自動に慣れすぎるのは問題がある。海外でタクシーを降りた日本人がドアを閉めないまま立ち去ってしまうと、タクシーの運転手から苦情があるという。タクシーのドアが自動だと思っているわけだが、それは日本での話。

そうそう、随分前の話だが、ディスカウントストアーの店長をやっていたときに、タクシーを呼んでほしいと、ロシア人の紳士(アエロフロートのパイロット)から頼まれたことがある。タクシーが到着すると、その紳士は、自動で開いた後部座席のドアが目に入らなかったのか、なんのためらいもなく、助手席に大柄な体を折り曲げて乗り込んだ。運転手さんは、驚いてなにか言いたそうだった。

私はこのロシア人に、日本のタクシーでは普通お客は後部座席に乗るものだと説明しようとしたが、面倒なのでそのまま、「新潟空港までお願いします」と伝えると、運転手はうなずきながら平静を装い、誰も乗らなかった後部座席の自動ドアを閉め、無言で発進して行った。

うちのオフィスが入居しているビルでの出来事だ。トイレの個室で停電に遭遇。突然の真っ暗闇で何も見えなくなった。命に別状はなさそうだが、さて、どうしようか。日本の場合、停電が長時間に渡ることは滅多にないので、復旧するまでこのまま待てばよいのだと、心を落ち着かせ考えた。ロダンの考える人のような姿勢であれこれと思案をしながら、わずかではあるが上半身を揺らした。

その瞬間であった。「カチッ」という小さな音とともにフラッシュがたかれたように光が差し込んだ。明るさに目を慣らし、冷静に見渡すと、光が差してきた訳ではなく、照明が元どおりに点いただけだった。
 停電ではなく、トイレの天井に設置された人感センサーの仕業であった。人の出入りを感知して自動的に照明を点灯、消灯する代物である。個室で1分ほどじっと動かないでいると、人が存在していないと判断し、気を利かせて消灯してしまう。適度に前後左右に上半身をゆすりながら用を足す技術が必要なトイレなのだ。

夜、知り合いのお宅を訪問して、玄関前で急にパッと照らされ、悪いことはしていないはずなのに逃げ出したくなることがある。これも人感センサーの仕業だ。この世から次々とスイッチがなくなり、人感センサーが幅を利かせている。これは、エコや省エネにつながり大切なことなのだろう。

省エネは大事だが、低カロリー食品はいかがなものか。スーパーの食品売場に行くと、低カロリーを売りにしている商品が多いのに驚かされる。最近は「カロリーゼロ」なんて物まである。

石川遼君がTVコマーシャルで宣伝している飲料は、「ドライなノドごしで、クリーミーな泡まで楽しめるノンアルコールビールテイスト」、「アルコールゼロ」に加え「カロリーゼロ※」「糖質ゼロ※」を実現と、いったい何のために飲むのかわからなくなるような飲み物だ。先日、試しに飲んでみたが、うーん・・・。人生の喜びも楽しさも感じられず、炭酸で腹が膨れただけであった。

昔、人間は生きるために、つまりカロリー摂取のために食料を口にしたはずだ。なのに、今ではカロリーがない方が売れる時代になった。豊かな世の中になりすぎたのか。暑い季節がやってきた。暑さに負けないように、毎晩しっかりとアルコールとカロリーと糖質を十分に補給しようではないか。(小島 正晴)

※栄養表示基準に基づき、エネルギー5kcal(100ml
当たり)未満をカロリーゼロとし、また、糖質0.5g
(100ml当たり)未満を糖質ゼロとしているそうだ。

社労士の仕事

開業以来、様々な種類の仕事について、依頼を頂戴してきた。なかには、これは社労士の仕事かな?と思う案件もあったが、基本的には、お断りせずにできるだけ受けることにしている。

ある時、蕎麦屋の開店で内装工事を手掛けた大手施工業者から仕事の依頼があった。工事に不備が見つかったため、開店して調子に乗ってきたお店を3週間閉め、やり直しの工事をしなくてはならない。その蕎麦屋の御主人はなかなか難しい方で、強烈なクレームが寄せられている状況で、どのように交渉を進めていいかわからない。御主人が納得するような提案をしたいので、企画を考えてほしいとの依頼だった。

明らかに社労士の仕事ではないと思ったが、依頼に来られた支店長が窮地に陥るほど困り果てていたので、受けることにした。私どもの顧問先の企画会社とダッグを組み、休業案内の仕方、休業中に来店されたお客様へのサービス券の配布、休業中のアルバイトへの賃金補償、リニュアルオープンの告知(TV、ラジオ、雑誌、折込チラシ)、リニュアルオープンセールでの記念品の配布、新メニューなど多岐に渡り提案書を作成し、無事、御主人の了承を取り付けることができた。

開業して間もない頃、旧知の社長から電話があった。「小島さんに仕事をお願いしたいんだけど・・・」
開業当初は、基本的に仕事がないわけで、藁をもつかむ思いで、「はい、どんな仕事でしょうか」と尋ねた。社長は話を始めた。「ついに結婚することになってね。それで一応、来月、披露宴をやった方がいいと思って・・・。ほら、俺3回目だからさ、とにかく楽しい披露宴にしたいんだよねえ。小島さん、都合は大丈夫?」

依頼される仕事の内容が想像できないまま、とりあえず、その日は都合がつくことを伝え、話の続きを聴いた。前半の話からわかったことは、その社長が結婚すること(3回目)、翌月披露宴があること、場所は○○温泉の旅館だということだった。

「そこでお願いがあってね」ここから、いよいよ仕事の依頼についての本題だと思い、耳に当てた携帯電話に集中した。「プロの司会者に頼むと、最後に涙を誘う感動の場面をつくるじゃない。あれはやめてほしいんだよね。3回目だからさ、涙じゃなくて笑いだよね。小島さん、頼むよ」しばらく間があり「司会やってよ」と、最後に仕事の内容が判明した。

「結婚おめでとうございます。私の司会では、せっかくの社長の披露宴が・・・。それに、司会だと飲めないし・・・」とできない理由をいろいろ探してやんわりとお断りしてみたが、「大丈夫。それに司会席にもうまい酒とワインをたっぷり用意するから、飲みながらでいいからやって。頼む!」と結局は押し切られた。

そして当日。会場に着くと、早速旅館の責任者が私のところに歩み寄り、挨拶もそこそこに、式次第を片手に持ちながら、照明が、ミュージックがと、私に説明を始めた。長い一方的な説明が終わったので、「申し訳ありません。披露宴の司会は初めてなので、緊張していて、今の説明は正直ほとんど頭に入りませんでした。やれることをやりますので、あとは臨機応変にお願いします」と頭を下げた。

開宴5分前。会場の様子を眺めながら司会席につくと、先ほどの責任者が「お預かりしていたこれをお渡しするのを忘れていました」と、たすきを私の首にかけてくれた。そのたすきには、「日本一の司会者」と大きく書かれていた。

司会者も普通でなかったが、新郎新婦も普通ではなかった。お色直しで引っ込んだと思ったら、ピンクの照明の下、二人そろって、はげちょびん親父と白鳥の首が股から出ている衣装で登場してきた。旅館のベテラン配膳係が「あたし30年この仕事をやってるけど、こんな披露宴初めて見たわ」と目を白黒させていた。

御礼の挨拶をすませた新郎新婦を照らしていたスポットライトが消え、楽しい披露宴がお開きとなり、私の任務も無事終了した。ほっとした瞬間、薄暗い会場の奥から、席を立ち前方に突進してくる一人の老紳士の姿が確認できた。逆光の中、間近に迫ったその顔を見て驚いた。新郎のお父様だった。

司会席に歩み寄り、マイクをスタンドからもぎ取ると、元市議会議員であった老紳士は張りのあるバリトンで、集まった方々への御礼を会場一杯に響かせた。演説調の挨拶は続き、「最後になりましたが、皆様に一つお詫びをしなければなりません」と、ここで声のトーンを落とした。どんな話が出てくるのかと、ざわついていた会場が急に静まり返った。

「今日、『日本一の司会者』のたすきを用意しましたが、これは私の失敗でした」突然、司会者の話になり、私の心臓は高鳴った。司会をしながら結構な量の酒を飲み、羽目をはずしすぎたのだろうか。何か失礼でもあったのだろうか。今日の仕事振りを頭の中で振り返っていると、再びバリトンが響いた。

「日本一ではなく『世界一の司会者』のたすきを用意すべきでした。深く反省しお詫び申し上げます」と挨拶を結び、司会の労をねぎらってくださった。会場が再び笑いと拍手で包まれた。 (小島 正晴)

2014 FIFA World Cup

いよいよ来月(平成26年6月)、World Cupがブラジルで開催される。今回は時差の関係で、予選の日本戦は早朝または午前中に試合が組まれているため、ビールを飲みながら応援するのが難しい状況になりそうだ。初戦のコートジボワール戦で勢いをつけ、ギリシャとコロンビアを撃破してもらいたい。

平成14年6月15日、新潟の地でワールドカップ決勝トーナメントの試合が開催された。A組を1位で通過したデンマークと、F組を2位で通過したイングランドとの対戦だった。共に、強豪が集中し死の組と恐れられたグループからの進出だった。
事前には、この新潟カードはイングランド対フランスになると予想され注目をされてていた。ところが、予選第一戦で前回優勝国のフランスがつまずいた。セネガル相手に0-1で敗れ、結局リズムをつかめないまま予選で敗退する大番狂わせが起こった。

この試合に合わせ、当時の白根市から仕事の依頼があった。スタジアムの脇で農産物や大凧合戦の写真を展示するテントを設営し、周辺でパンフレットを配布するなど、地元を世界にアピールするのが目的だった。我々有志4人は郷土宣伝の使命を帯びて、当日早朝から会場に駆け付けた。

大会随一の人気スター、デイビット・ベッカム要するイングランド戦であり、会場のビッグスワンスタジアム周辺は、世界中から様々な衣装をまとった観客が集まってきた。我々は、重大な任務を的確に遂行するため、テントの裏でこっそりと、かつ厳かに缶ビールで乾杯を行った。

テントを設営したのが試合開始の10時間前。それからしばらくは、テントの前でパンフレットを片手に呼び込みをやっていたが、閑古鳥状態。広場で踊ったり、ビールを飲んだり、昼寝をしたりしている観客は大勢いるのだが、農産物に興味を示してくれる律義者は皆無だった。

重要な任務ではあるが、暇には勝てない。悪友4人でミーティングが始まった。「世界が注目する一戦を前に、我々は誰も来ないテントで何をやっているのか」、「観客はこれからの試合に備え、それぞれ楽しそうに盛り上がっている」、「そんな環境のなか、我々男4人は自堕落なことをやっている」、「こんなことがあっていいのか」、「いいはずがない」、「我々だってベッカムの試合が見たいものだ」、「見たいじゃはじまらない。見ようではないか」、「しかしチケットなしではどうにもならない」、「あきらめるのは早い」、「可能性を探そう」、「当たって砕けろ。まずは行動だ」テントは無人営業状態として、4人でスタジアム周辺の探索をすることにした。

イングランド戦といえばフーリガン。その対策で全国から応援に駆け付けた機動隊員がほぼ5メートルおきに配置され、物々しい雰囲気となっていた。その機動隊員で囲まれたスタジアム周囲を、我々は侵入の可能性をつかむため歩き回った。
スタジアムを2周してみたが、予想以上の警備だった。侵入はおろか、スタジアムに近づくのも容易ではなかった。これ以上、歩き続けても成果はないどころか、機動隊員に怪しまれることになる。探索は中止して、テントに戻り再び緊急ミーティングとなった。

作戦は単純だった。我々4人には「当日ボランディアスタッフ」のネームプレートが配布されていた。それを首から下げ、商品の納入を装い通常ゲートからスタジアムに侵入することにした。4名それぞれ、商品の代わりにパンフレットが詰まった段ボール箱を抱え、タオルを頭に巻き配送員に変身した。一番年下の私が特攻隊長を務めた。ゲートで並んでいる観客の長蛇の列を「失礼します」とすり抜けた。「チケットを拝見いたします」と声をかけられたが、胸のネームプレートをつまみ「お疲れ様で~す。納品です。すぐ戻りま~す!」と元気一杯駆け足で手荷物検査場を通り抜けた。次に待っていたのはボディーチェックの警備員だ。先ほどと同じようにネームプレートを提示し突破した。

と思ったが、「もう一度見せていただけますか」と後ろから声が聞こえた。「うーん、おかしいなあ。このカードではここまで入れないと思うんですけどねえ」と若い警備員が不思議そうにカードを手に取り、無線機でなにやら相談を始めた。しばらくすると、ネイビーブルーのブレザーを羽織り髭をたくわえた初老のいかにもお偉方とおぼしき紳士が現れ、「このカードでは入ないんですよ。どうやってここまで入って来たんですか」と穏やかに少し怪訝そう顔で聞いてきた。「そういわれても私はボランティアでこの商品を運んで来いと言われただけなので・・・」と首をかしげながら我々は全力で退散した。

結局スタジアムでの観戦はあきらめ、早めに展示テントを撤収した。ビールを調達しTVでベッカムを拝むことにしたのだ。ふと目を覚ますと、試合が終わり、画面には他の番組が流れていた。試合の前半でイングランドが3点目を上げたことは何となくみんなが覚えていたが、いつの間にか悪友4人全員はTVの前のソファーで熟睡モードに入ったのだ。
夢の中で4人は、満員のスタジアムの熱狂のなかビール片手に歓声を上げていた。長い一日だった。(小島 正晴)

卒業

この春、小島家では卒業ラッシュを迎えた。三人の子供が一斉に学校を卒業した。それぞれ長男、長女、次男が大学、高校、中学を巣立った。卒業だけならさほど大変なことではないのだが、卒業すると一般的にはどこかに入らなければならない。これが大変なのだ。今回、三人とも自分がめざした場所には行くことがかなわず、第二、第三の選択肢を選ぶことになった。全力を出しての結果は潔く受け止め、前を向いて人生を歩んで行ってほしい。

私が中学三年生の秋のことだ。数学のS先生はユニークで、「トイレに行った後に手を洗ってはいけない」と真面目な顔で堂々と生徒を指導をしていた。「大切なものを触る前に手を洗うべきであり、その後に手を洗うのは理にかなっていない」と理屈をこねていた。

この先生もいいところがあった。「今日出した宿題、必ず、必ず、全員忘れずにやってくること。全員忘れることなく宿題をやってきたら、明日の授業はプロ野球日本シリーズのテレビを見せてやるぞ。宿題絶対忘れるなよ!絶対だぞ!」翌日の授業はめでたくテレビで野球観戦となった。この年の日本シリーズは、ヤクルト対阪急。熱戦が続き第7戦までもつれ込み、最終戦では大杉のホームランの判定をめぐり、阪急の上田監督が激怒。全選手を引き上げ1時間19分にわたり抗議の中断。最長中断として記録に残っている。今だったら、受験を控えた数学の授業中にテレビ観戦などやったら大問題として取り上げられるに違いない。S先生はいい時代に数学の先生をやっていたのだ。

ハッピーな数学の授業が終わり、次は音楽の時間だった。音楽室に移動し担当のT先生の到着を待っていた。T先生は、30代半ば。長めのストレートヘアで、サングラスをかけ真っ赤なセリカで通勤してくる結構目立った先生だった。

少し遅れて音楽室に姿を現したT先生は、いきなりピアノの椅子に座ると、下を向き「あーーーっ」と長めのため息をついた。まるで我々生徒が存在していることを忘れたかのように、「もういや。まあいろいろあるわよね。本当にもういやっ」とつぶやき我に返った。

 「あっ、今日は教科書いらないわ。閉じて。歌いましょ。この歌、みんなも知っているわよね」と、当時ザ・ベストテンに出ていたグループの曲名を挙げた。生徒の誰かが「歌は知っているけど、歌詞はよくわかりませーん」と答えると、「じゃあ、先生が大きい声で歌うから、百分の一秒遅れで歌ってよ」と、いつも以上の気迫で押し切られた。

髪を振り乱し情感を込めイントロを弾き出した。その曲は、森田公一とトップギャランの青春時代。「卒業までの半年で 答えを出すと言うけれど 二人が暮らした歳月を なんで計ればいいのだろう」 「みんなも、もっと大きな声で歌って!」 「青春時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの 青春時代の真ん中は 胸にとげさすことばかり」と最後のコーラスは、アンジェラ・アキ顔負けの魂がこもったシャウトであった。

歌い終わったT先生は、「この歌、いい歌なんだけど、涙が出るから困るわ。ねえ、そうでしょ。いい歌でしょ。みんなも卒業まであと半年だよね。でも、みんなはまだ若いからわからないかもね」今まで受けた中で、間違いなく一番胸に刺さる授業だった。その時T先生の人生に何が起こっていたのか、涙の意味は知る由もない。

確かにいい歌だ。歳を重ねた今だからこそ、感じることができるものがある。青春時代は、道に迷い、そして時々胸にとげが刺さることがある。もちろん、私もまだまだ青春時代を生きている。

アグネス・チャン「ひなげしの花」、天地真理「ひとりじゃないの」、岡田奈々「青春の坂道」、キャンディーズ「ハートのエースが出てこない」、桜田淳子「黄色いリボン」、菅原洋一&シルビア「アマン」、和田アキ子「あの鐘を鳴らすのはあなた」など幅広いジャンルで数々の名曲を、作曲家の森田公一は生み出している。(小島 正晴)
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